About
I often create my work by facing nature, be it mountain or river.
Nature is constantly in flux. It is never static. Because of that things do not always turn out the way I imagine.
Rain may fall preventing me to continue working. Strong winds may blow breaking my work.
And in most of my works, they are destroyed after being exhibited, leaving nothing behind.
Why? Because we have to put nature back to its original state.
Creating such works may go against the essential functions of art.
However, in the working of nature, especially in its cyclical function, I feel there is an embedded role which works to console our minds.
Rainwater that falls to the ground gradually get filtered and purified as it travels through the earth. Similarly, I feel that our thoughts can gain more clarity by aligning ourselves to such cycle of nature.
When I create my work, I often find myself with a sensation—as if nature is passing through my body—my consciousness melting into the minute particles of air. After a long passing of time, it then returns back to me, this time more refined. And then I realize I have been consoled a little bit.
For me, creating a work of art may be a way of assimilating myself to the great cycle of nature.
私はよく、自然の中のものと対峙して作品を作ります。
それは山であったり、川であったりします。
自然とは常に移ろいゆくもので、ひとどころに留まっているものではありません。
そのような自然が相手なので、いつも思うように作品を作られるというわけではありません。
雨が降って作ることができなかったり、強い風が吹いて作品が壊れることさえあります。
また多くの場合、作品を展示し終えた後、それらは壊されることになり、跡には何も残りません。それは、自然を元あった状態に戻さなくてはならないからです。
そのような作品を作るということは、美術というものが本来持っている役割とは相反する行為なのかもしれません。
しかし、私は、そのような自然には、通常営為(とりわけ循環機能)の中に、人の心を慰撫するような作用があるように思います。
雨になって地上に落ちた水は、地中を通るあいだにろ過され、純化されていきます。
人の意志もそのようなサイクルの中に重ね合わせることで、少しずつ透明度を増していくのではないかと思います。
私は作品を作るとき、よく、自然が自分の身体の中を通り抜けていくような感覚を味わうことがあります。
そのときに、自分の意識が、大気の微細な粒子の中に融け込んでいくのを感じます。
それらは長い時間の中で洗練され、やがて私のところへと戻ってきます。
そのとき私は、ほんの少し救われていることに気付きます。
私にとって美術作品を作るということは、そのような大きな自然のサイクルと同化するための手段なのかもしれません。